今回は、1940年代のドイツ武装親衛隊の迷彩ジャケットを分析します。
迷彩スモックほど人気はないですが、なかなかの迷彩ですよ。
安心してください!勿論モデル品です!
(当時の官給品が欲しいです!)
中古品ですが程度は良好ですよ!
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目次
1 ドイツ武装親衛隊迷彩ジャケット(えんどう豆パターン)とは?
第二次大戦中の1943年、それまでパンツァーグラウ(ジャーマングレイ)と呼ばれていた、やや青味がかった濃い灰色に塗られていたドイツ戦車の基本塗装が、デュンケルゲルプ(ダークイエロー)に変更になりました。
同時に各戦車には、グリーンとブラウンの塗料が支給され、現地の状況に応じて各車が自由に迷彩を施すことが許可されましたね。
これは、破竹の勢いで進んでいたドイツ軍が守勢にまわった…ということを意味していました。
同時に戦車は、機動力よりも火力(戦車砲の威力)と防御力(車体の装甲鋼板の厚さ)を増したモデルが量産されるようになりましたね。
ちょうどその頃、武装親衛隊はそれまで採用していた各種迷彩スモックに加え、とうとう迷彩生地で製造された戦闘服を採用しましたよ。
それが、今回のモデルです。
実質的には、個人を偽装するための官給品量産迷彩服としては世界初の量産品という説もありますね。
デザイン的には、M44と呼ばれる制服とよく似ていますが、最初から迷彩生地というのが画期的でした。
一説には、空襲などによる瓦礫の中で、最も効果を発揮するように考え出された迷彩だとか?
さてさて、それはどんな迷彩服なのでしょうか?
今回はドイツ軍装備マニアのみならず、迷彩服コレクション初心者のあなたと一緒に、確認していきましょう!
2 全体及び細部写真です!
前面
独特の斑点迷彩ですね。
そしてとても複雑です。
背面
当時の官給品は、丈より袖が長かったのですが、そこは現代風にアレンジされていますね。
前面裏側
茶色い生地は、本来ならシルクなのですが、モデル品なのでナイロンになっています。
内ポケットはありませんが、前面裾下部にファーストエイドドレッシング(救急包帯)を入れるポケットが設けられていますよ。
(後にスイス軍が採用していますね。)
背面裏側
前合わせはボタンのみです。
サイズスタンプ
52:肩幅 55:首周り 121:胸囲 80:着丈 69:袖丈と、メーカーエンブレム
胸ポケット
ボタンで開閉
ポケットフラップに裏地には別の生地が縫い付けられています。
高級紳士服のようですね。
腰ポケット
こちらも、胸ポケットと同様です。
袖口
小さいボタンで開閉・調整
うなじのループ
迷彩生地でできています。
両脇裏側のインナーサスペンダー
本来は、専用の金具でベルトのズレ落ちを防ぐためのものです。
救急包帯入れですが、ボタンに違和感が。
iPhoneの初代SEくらいなら入りそうですね。
袖内側
力の加わるところや摩擦の多いところは別の生地で補強されています。
脇内側
肩内側
袖に使用されているボタン
前身頃のボタン
反射防止処理がなされています。
ウエストのホール
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3 その特徴とは?
まず迷彩ですが、ホワイトの生地に、ブラウン、ダークピンク、濃紺3色のグリーンで雲型や斑点を描いています。
とても複雑な迷彩ですね。
生地は太い糸で織られたヘリンボーンです。
当時の官給品は、粗末な人絹(昔のレーヨン)との混紡が多かったですが、モデル品なので全てコットン製です。
とてもで丈夫そうな生地ですよ。
デザインは、ウール製のM44戦闘服に似ています。
このデザインは、あきらかに当時の制服そのものですね。
構成は、エポレットなし、胸ポケット×2、腰ポケット×2、内ポケットです。
当時のドイツ国防軍は、最後まで単色の制服が支給されていたので、武装親衛隊専用の迷彩服になります。
(優遇されていたのですね。)
全体的な縫製は、とても正確かつ丁寧で「愛」を感じる仕立てです。
全体的には、とてもよくできたモデル品ですね。
4 製造とサイズのデータです!
製造・契約年度 1990年代
製造場所 アメリカ
契約会社 アメリカ
製造会社 〃
材 質 コットン
ナイロン
表記サイズ 52 50 121 80 69
(日本人のL)
各部のサイズ(平置)
着丈 約76cm
肩幅 約52cm
身幅 約62cm
袖丈 約67 cm
状 態 中古極上品
官民区分 官給品
入手場所 兵庫県の専門店
入手難易度 3(困難)
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5 まとめ
あまり知られていませんが、太平洋戦争中に主にアメリカ軍が日本へ投下した通常爆弾の量は、約15万トンでした。(諸説あり)
でもドイツへは、約160万トンもの爆弾が投下されているんですね。
国土面積ではドイツが狭いので、その影響たるや惨憺たるものだったでしょう。
(イギリス軍によるドレスデン空襲は酷かったですね。)
当時の写真を見ると、建物は残っているものの、道路などは瓦礫の山になっているのがわかります。
ドイツはレンガ造りの建物が多かったので、 おそらく赤茶色(煉瓦色)の瓦礫が多かったのでは?
…とするなら、今回のモデルの迷彩は、なかなか効果的な迷彩服だったのかもしれませんね。
日本のフィールドでも効果を確認してみたいです。
ところで、この迷彩服(当時の官給品)には面白いエピソードがありますよ。
戦後、貴重なドイツ軍の迷彩服を大量に入手したアメリカ軍は、研究のためそのすべてを本国へ送りました。
しかし、何の手違いか一部が朝鮮戦争中の現地アメリカ軍に送られて、韓国軍に支給されたそうですよ。
(休戦協定で、旧ソ連が「何故国連軍にドイツの武装親衛隊が居るのか?」と正式に抗議があったそうです!)
実際に韓国軍兵士が着用している写真もあり、どうやら事実のようです。
面白いですね。
それはともかく、今回もモデルもそうですが、昨今は出来の良いモデル品が次々に販売されていて入手は容易です。
その場合も、日本、アメリカ、ドイツ製の製品を購入するのが良いようです。
今回は、数奇な運命を辿ったドイツ 武装親衛隊の迷彩服を分析しました。
いやー軍装品って、モデル品も本当に素晴らしいですね!
それでは、また次回をお楽しみに!
(20240118更新)
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参考:第二次大戦中のドイツ武装親衛隊迷彩装備に関する記事はこちらです。⬇︎
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読んでいただき、ありがとうございました。
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