こんにちは!
今回は、第二次大戦中のドイツ武装親衛隊の迷彩服を分析します。
迷彩スモックほど人気はないですが、なかなかの迷彩ですよ。
安心してください!勿論モデル品です!
(当時の官給品が欲しいです!)
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目次
- 1 ドイツ武装親衛隊迷彩ジャケットとは?
- 2 ドイツ武装親衛隊迷彩ジャケットの全体及び細部写真
- 3 ドイツ武装親衛隊迷彩ジャケットの特徴とは?
- 4 ドイツ武装親衛隊迷彩ジャケットの製造とサイズのデータ
- 5 ドイツ武装親衛隊迷彩ジャケットまとめ
1 ドイツ武装親衛隊迷彩ジャケットとは?
第二次大戦中の1943年、それまでパンツァーグラウ(ジャーマングレイ)と呼ばれていた、やや青味がかった濃い灰色に塗られていたドイツ戦車の基本塗装が、デュンケルゲルプ(ダークイエロー)に変更になりました。
同時に各戦車には、グリーンとブラウンの塗料が配布され、現地の状況に応じて各車が自由に迷彩を施すことが許可されました。
これは、とりもなおさずドイツが守勢にまわったということを意味していました。
同時に戦車は、機動力よりも火力(戦車砲の威力)と防御力(車体の装甲鋼板の厚さ)を増したモデルが量産されるようになりましたね。
ちょうどその頃、武装親衛隊はそれまで採用していたスモックに加え、とうとう迷彩生地で製造された戦闘服を採用しました。
それが、今回のモデルです。
デザイン的には、M44と呼ばれる制服とよく似ていますが、最初から迷彩生地というのが画期的でした。
一説には、空襲などによる瓦礫の中で、最も効果を発揮するように考え出された迷彩だとか?
それはどんな迷彩服なのでしょうか?
ドイツ軍マニアのみならず、迷彩服コレクション初心者のあなたと一緒に、確認していきましょう!
2 ドイツ武装親衛隊迷彩ジャケットの全体及び細部写真
前面
独特の斑点迷彩ですね。とても複雑です。
背面
前面裏側
茶色い生地は、本来ならシルクなのですが、モデル品なのでナイロンになっています。
内ポケットはありませんが、前面裾下部にファーストエイドドレッシング(救急包帯)を入れるポケットが設けられています。
(後にスイス軍が採用していますね。)
背面裏側
前合わせはボタンのみです。
サイズスタンプ
52:肩幅 55:首周り 121:胸囲 80:着丈 69:袖丈 メーカーエンブレム
胸ポケット
ボタンで開閉
ポケットフラップに裏地には別の生地が縫い付けられています。
高級紳士服のようですね。
腰ポケット
こちらも、胸ポケットと同様です。
袖口
小さいボタンで開閉・調整
うなじのループ
迷彩生地でできています。
両脇裏側のインナーサスペンダー
本来は、専用の金具でベルトのズレ落ちを防ぐためのものです。
救急包帯入れですが、ボタンに違和感が。
iPhoneのSEくらいなら入りそうですね。
袖内側
力の加わるところや摩擦の多いところは別の生地で補強されています。
脇内側
肩内側
袖に使用されているボタン
前身頃のボタン
反射防止処理がなされています。
ウエストのホール
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3 ドイツ武装親衛隊迷彩ジャケットの特徴とは?
まず迷彩ですが、ブラウンをベースに、ダークピンク、濃紺3色のグリーンで雲型や斑点を描いています。
とても複雑な迷彩です。
生地は太い糸で織られたヘリンボーンです。
当時の官給品は、粗末な人絹(昔のレーヨン)との混紡が多かったですが、モデル品なので全てコットン製です。
ヘリンボーンで丈夫そうな生地ですよ。
デザインは、ウール製のM44戦闘服に似ています。
このデザインは、あきらかに制服そのものですね。
当時のドイツ国防軍は、最後まで単色の制服が支給されていたので、武装親衛隊専用の迷彩服になります。
(優遇されていたのですね。)
全体的には、よくできたモデル品と言えます。
4 ドイツ武装親衛隊迷彩ジャケットの製造とサイズのデータ
・製造又は契約年度 1990年代
・製造場所 アメリカ
・契約会社 アメリカ
・製造会社 〃
・材質 コットン
ナイロン
・表記サイズ 写真参照
(日本人のL)
・各部のサイズ(平置)
着丈 約76センチ
肩幅 約52センチ
身幅 約62センチ
袖丈 約67センチ
・状態 中古極上品
・官民区分 官給品
・入手場所 兵庫県の専門店
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5 ドイツ武装親衛隊迷彩ジャケットまとめ
あまり知られていませんが、太平洋戦争中に主にアメリカ軍が日本へ投下した通常爆弾の量は、約15万トンでした。(諸説あり)
でもドイツへは、約160万トンもの爆弾が投下されているんですね。
国土面積ではドイツが狭いので、その影響たるや惨憺たるものだったでしょう。
(イギリス軍によるドレスデン空襲は酷かったですね。)
当時の写真を見ると、建物は残っているものの、道路などは瓦礫の山になっていますね。
ドイツはレンガ造りの建物が多かったので、 おそらく赤茶色(煉瓦色)の瓦礫が多かったのでは?
とするなら、今回のモデルの迷彩は、なかなか効果的だったかもしれませんね。
日本のフィールドでも効果を確認してみたいです。
この迷彩服(当時の官給品)には面白いエピソードがありますよ。
戦後、貴重なドイツ軍の迷彩服を大量に入手したアメリカ軍は、そのすべてを本国へ送りました。
(研究のためらしいです。)
しかし、何の手違いか一部が朝鮮戦争中の現地アメリカ軍に送られて、韓国軍に支給されたそうですよ。
(休戦協定で、旧ソ連が「何故国連軍にドイツの武装親衛隊が居るのか?」と正式に抗議があったそうです!)
実際に韓国軍兵士が着用している写真もあり、どうやら事実のようです。
面白いですね。
今回もモデルもそうですが、昨今は出来の良いモデル品が次々に販売されていて入手は容易です。
その場合も、日本、アメリカ、ドイツ製の製品を購入するのが良いようです。
今回は、数奇な運命を辿ったドイツ 武装親衛隊の迷彩服を分析しました。
次回は、モデル品ながらより実用を考慮した、アメリカ軍のフライトジャケットを分析します。
お楽しみに!
参考:第二次大戦中のドイツ武装親衛隊迷彩装備はこちらです。⬇︎
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読んでいただき、ありがとうございました。
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